早朝の対峙
私の住んでいる宇頭台地は、安城洪積台地が矢作川に面する東の端になり
ます。台地端の低地には、いたるところに台地の地下を通ってきた伏流水
が湧き出している泉があります。この湧き水を利用して古代から人が住み
つき稲作を行って、集落を形成し、古代から開けた地域でした。
宇頭町の南隣りに接する西本郷町には、五十狭城入彦皇子(いさきいりひ
このみこ)の墓と伝わる宮内庁管理の前方後円墳(墳長約70メートル)
があります。この皇子は別名気入彦命(きいりひこのみこと)とも呼ばれ、
『新撰姓氏録』皇別左京御使朝臣の条に登場し、景行天皇の皇子で、
御使朝臣(みつかいのあそん)の祖であると記されています。
応神天皇のとき、大壬生という賊を三河の地において捕縛して天皇に差し
出したので、天皇から御使連という姓を賜り、宇頭の地に館建てて住み、
この地で亡くなり、この地に葬られたと伝えられています。
私は、大壬生という賊を三河の地において捕縛した出来事は、東三河地方
の大規模な反乱を収めた当時としは重要な出来事であったと解釈していま
す。
この絵は、気入彦命が軍勢を率いて宇頭台地に布陣し、早朝に矢作川東岸
に陣を敷く反乱軍を征伐しようとしているのを想像して描いたものです。